無添加書道 ~ mutenka_shodo ~ / 書道家 遠藤夕幻
fc2ブログ

カテゴリ0の固定表示スペース

カテゴリ0の固定表示スペースの本文サンプルです。
テンプレート使用時に削除してください

カテゴリ1の固定表示スペース

カテゴリ1の固定表示スペースの本文サンプルです。
テンプレート使用時に削除してください


【旅日記】雪月花廊での日々 後編

雪月花廊での日々は、一年分の都会の喧騒に疲れた身体と心を癒すのには、十分な時間だった。

そして、今年も何か御礼に書こうと思い、真狩にある羊蹄山の湧き水がこんこんと湧き出る泉から、綺麗で美味しい水を汲んできて、墨を磨ることにした。


雪月花廊にて ととさんと一緒に墨を磨る

そうすると、「何やってるの?」と、ととさんが登場。
一緒に墨を磨ってもらった。
「懐かしいなぁ。癒される」と、ととさんも気分が良さそうだった。^^


  雪月花廊にて 子どもたちと一緒に墨を磨る

さらには、廊主一家の子どもたちが全員集合。
「ぼくが磨る!」
「わたしも磨る!」
「今度は、俺の番!」

うんうん、いい感じに書道の面白さが伝わってるね。
ゆーげんさんは、嬉しいよ。^^


雪月花廊にて 最終日廊主家族と一緒に、みんなでご飯。

雪月花廊、出発の晩。
ライダーさんも応援団員も含め、ぼく以外、誰も泊まっていなかった。

廊主家族と夕幻の食卓。
こういうシチュエーション、すごく癒される。


雪月花廊にて いまを生きる男 落款押し by 遠藤夕幻

書いている最中、すっごい近い距離で子どもたちからの熱い視線を感じながら、書き続けた。
途中で、ゆうたくんが

「たのしい?」って、聞いてきてくれた。

すっごい集中している最中の、天使のささやき。
これには、ぼくも思わず、満面の笑みで「たのしいよ!」と応えた。
そして、終始楽しい空気感の中、作品を書き上げた。


雪月花廊にて 「いまを生きる男」と みんなで一緒に記念撮影

『いまを生きる男』
廊主家族&夕幻の記念写真。

ととさんが、ぼくが来てからカフェでポツっと言った一言が印象に残っていた。
「そっかぁ、俺は『いまを生きる男』になったんだな」って。じみじみ言っていた。
それをそのまま書かせていただいた。


雪月花廊にて 記念の手形押し with しんちゃん、ふうちゃん、ゆうたくん

真狩の湧き水で磨った墨が余った。
せっかくだから、子どもたち自身が磨った墨でもあるので、自分たちの手形色紙を作ることにした。
これも、きっと成長の軌跡として、良い思い出になるんだろうな。^^

このあと、やることやって準備をしたら、雷雨の中の出発となった。笑
雪月花廊から苫小牧までの暗い夜道。約2時間、雷雨の中をひた走る最終日。
なんとも最高の出発となった。


商船三井フェリー 甲板からの風景 おそらく青森県~宮城県沖

苫小牧港~大洗港まで、だいたい17時間ぐらいかかる。
深夜1:30発、同日20:00着。といったところか。

ぼくはフェリーで帰るのが、長期の旅から帰ってくるのに一番適していると思う。

「なんにもすることなくて、暇そうだ」とか言う人も中にはいるかもしれないが、ぼくにとってはそれがいい。時間さえあれば、いっくらだってできることがある。
ぼくの場合は、徐々にゆっくりと時間をかけて帰ることによって、「明日から仕事だぞ」「現実に戻るぞ」「いつまでの旅気分ではいられないぞ」と、自分自身に言い聞かせていく時間になる。フェリーは、それがいい。

ただいま。と、おかえり。が待つ、家路へとつくことにしよう。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

とまぁ、2014年の旅日記はここまでにしておこうと思います。
帰ってから、まだ一か月も経たないのですが、私の身の回りではさまざまな出来事が起こっています。むしろ起こり過ぎていて、事務的な処理も、精神的な処理も、なにもかもが追いついていない状況になっています。

なにが起きているかは、facebookをやっている方は、こちらをご覧ください。
比較的リアルタイムで見ていただけるかと思います。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100007899695519

なお、facebookの友達申請は、一度でも直接、面と向かって話したことがある人であれば、大歓迎です。逆に面識がない方からの申請は、基本的にはお断りしています。

こちらのサイトにも順を追って、まとめていこうとは思っていますので、引き続きご覧いただければ幸いです。

スポンサーサイト



このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

【旅日記】 雪月花廊での日々 前編

北海道に渡ったのは、どうしても逢いたい人たちがいたから。
「ととさん」と「かかさん」、「しんちゃん」に「ふうちゃん」に「ゆうたくん」に逢いたいから。

だから、ここまできた。
今回の旅の目的地は、ここ『雪月花廊』であった。

旧双葉小学校・雪月花廊の廊下にて 撮影:遠藤夕幻 2014年8月

『旧双葉小学校・雪月花廊』:廃校になった小学校を改装。現在はレストラン&カフェや宿泊施設となっている。
撮影したのは、元1・2年生の教室だった場所から見た、長い廊下の景色。



去年の7月、その出来事は起きた。
それは、ととさんにとって生命のかかった重大な出来事であり、それがきっかけで、とても大変だったことが伺える。それはきっと、本当に大変だったと思う。支える家族にとっても、雪月花廊が大好きな応援団員さんたちにとっても、怒涛の日々だったと思う。

なにが起きて、どうなったのかなんていう話は、今となっては大した問題でもない。
そんな些細なことを語るのは、野暮な話。

必要なのは今だと思う。
ととさんが毎日元気に笑っていて、かかさんも身体を壊すことなく踏ん張っていて、子どもたちがたくましく成長している姿を見れただけで、ぼくは涙が出た。


2011年制作 壁書・遠藤夕幻 書 雪月花廊にて

ぼくが2011年8月に訪れた際に、雪月花廊の廊下の壁に書いた作品。この作品は、廊主家族の名前の漢字を一文字ずつ使用した詩を考えて書き上げた。想い入れのある作品。


雪月花廊に着いて、ととさんがぼくに向けて言った第一声は、
「かかさんから聞いたよ。ゆうげんくん、っていうんだって?」だった。

ぼくが「ただいま」って言って、ととさんとかかさんが「おかえり」って言ってくれて。
お互いに涙を瞳に溜めながら、ハグして、顔を見合って、笑いあった。

それからちょっとして、「夕幻くんは、たしか書家だよね?」って、ととさんが言ってくれた。
もう、それだけ覚えてくれていたら、十分だった。

あぁ、ようやく帰って来れた、この場所に。みんなの居る、ここ雪月花廊に。
嬉しかった。本当に嬉しかった。


かかさんの朝ごはん 雪月花廊にて 撮影:遠藤夕幻 2014年8月

かかさんの美味しい、優しい朝ごはん。とにかく、お米が美味しいし、お味噌汁も卵も、みんな優しい。すごく幸せになれる味。


ととさんの顔も見れたし、かかさんにも色々とぼくらのことを報告できた。
やっぱり顔を見て、話すだけで安心する。

長いこと旅をしていて思うのは、「また、ここに帰ってきたいな」って思える場所は、複数できた。
だけど、自分の家みたいで、居心地が良くて、「自分を受け入れてもらっているな」と思える場所は、なかなか無い。やっぱりぼくにとって雪月花廊は特別な場所だった。

子どもたちも、ぼくが「ちょんまげ」になっていたことで、「あれ?誰?」と最初は戸惑いを感じたみたいだけど、ちゃんと顔を見て話したら、「あぁ、ゆーげんさんね」って、思い出してくれた。笑

こうやって、2年ぶりに訪れたのだけれど、あっという間に2年分の距離が縮まった。
いつまでも感傷的になっていることもないので、ぼくは雪月花廊の日々を精一杯楽しむことにした。


  次男・雄太くんと一緒に雪月花廊にて 撮影:遠藤夕幻 2014年8月

廊主家族の次男坊・ゆうたくんと一緒に、お隣のメロン農家さんのお手伝いに行くときの写真。今回の写真の中で、これがけっこうお気に入り。
撮影は、長男のしんちゃん。なかなかいい感じの写真構成。さすが、お兄ちゃん。

翌日は、一日雨だったけど、そもそもぼくの目的地は雪月花廊なワケで、ここに着いたあとで、わざわざバイクで動く必要はなかった。雨の日は一日中、子どもたちと泊まっていた大学生ライダー君と一緒に、体育館で遊んでいた。キックベースしたり、野球したり、バスケしたり。

しんちゃんには、
「ゆーげんさんだって、まだまだ若いんだから、運動しよう!」って言われた。笑

体育館で遊び通した翌日に、筋肉痛にならなかったので、ちょっとその気になったりして。
まだまだ若い、か。笑


  旧双葉小学校・雪月花廊の庭先にて「木苺」 撮影:遠藤夕幻 2014年8月

恥ずかしがりやさんの長女・ふうちゃん。
なかなか一緒に写真に写ってくれない。^^;
雪月花廊のお庭には、「木苺」がなっていて、一緒におやつ代わりにもいで食べた。

甘くて、あとから酸っぱい味がきて。
「自然の恵みをいただいているな」って実感できる瞬間だった。

ふうちゃんは、いつの間にか一年生になっていて、すっかり女の子になっていた。
それでも、「ゆーげんさん、抱っこして」とか「肩車してー」って来てくれるので、それはもう可愛らしい。でもいつか、来年とか再来年になって、どんどん大人になって、膝の上とかに乗ってくれなくなったら、ぼくは泣くかもしれない。笑

一人っ子に育ったぼくにとっては、血の繋がった姪っ子や甥っ子ができるわけもないのだが、廊主家族の3人兄妹がぼくにとっての姪っ子甥っ子な感じがする。


猫・たまさん 雪月花廊にて 撮影:遠藤夕幻 2014年8月

最長老の「たまさん」にも会えた。
猫の14、15歳なので、きっと70歳以上なおじいちゃんだ。
人生の大先輩だ。

だからこそ、「たま」とは呼べない。あくまでも、たまさん。^^

たまさんの「エアーにゃ~」には、とても癒される。
ぼくの実家の猫も同級生ぐらいのおばあちゃん猫なのだが、なかなか声が出ない。
口では「にゃ~」って鳴いているつもりなのに、実際には声が出ていないのだ。
だから、「エアーにゃ~」。

ときどき、小声で「にゃ」って聞こえるのが、また可愛い。
たまさんには、ぜひとも長生きしてほしい。^^


旧双葉小学校・雪月花廊の屋根の上にて 撮影:遠藤夕幻 2014年8月

雪月花廊で一番好きな場所が、この屋根の上だ。
平屋建ての旧双葉小学校。改装して、屋根にすぐに上れるようになっている。

朝の空気は、ピンと澄んでいて気持ちがいい。
天気の良い夕方には、羊蹄山のほうに夕日が沈み、それはもう綺麗な夕焼けとなる。

本を持ってきて読むのも最高に気分がいい。
なんにもしないで、ボケーっとしているのも大好きだ。


こうして、雪月花廊で過ごす日々が、ぼくを癒してくれ、明日を生きる活力になる。
みんなで何事もなく過ごせることが、それだけで幸せなことなんだな、と再認識させてくれる。
ずっとこんな日が続けばいいのにな、って思える日をほんの数日間過ごせるだけで、どれだけ心が満たされることか。

有り難い。
そんな、雪月花廊での日々。



このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

【旅日記】『洞爺堂』と“しあわせ”のパン

事の始まりは、ぼくが伊勢の「ときわ荘」の祥平さんに頼まれて、人力車に『愛勇夢』(あゆむ)という文字を書きに行った、7月7日まで遡る。
(人力車に愛勇夢を書いた時のことは、このブログでも紹介しているので、見てみてください)

伊勢を訪れた七夕の晩に、実は、新たな出会いがあった。
彼は、「三日後に北海道の洞爺湖の湖畔に移住するため出発します」と言った。

それが、やすじ氏との初めての出会いだった。
時間にすれば、たった30分ぐらいだった。やすじ氏は、洞爺湖へ行く前にお世話になった祥平さんにご挨拶を、ということで伊勢を訪れていた。そのタイミングでぼくはときわ荘に言葉を書きに来ていたのだ。

弱々しくもありながら、一度繋がってしまえば、なかなか切れるコトがない、そんな儚さと強さを伴う“ご縁”という名の糸は、確かに伊勢の地にて繋がることが叶ったのだ。


洞爺湖の朝日と遠藤夕幻

あれから、約一ヶ月後。
ぼくは、やすじ氏と一緒に洞爺湖の湖畔で朝日を見ていた。
伊勢での出会いは、ちゃんとここ洞爺湖で身を結んだ。しっかりと糸を手繰り寄せ、色々な出来事を重ね、乗り越えた結果、無事にやすじ氏のもとに辿り着いたのである。


洞爺湖の湖畔から 快晴 風弱め 撮影:遠藤夕幻

無事にこうして、透明度高く美しい洞爺湖の景色を見れたことで、喜びと安堵感に包まれた。

移住から約一ヶ月。
やすじ氏は、すっかり地元の方々とも顔見知りになり、友人もできていた。
これから洞爺湖に根を生やし、洞爺の魅力を発信すると共に、念願の夢であった、“おもてなし”をするための活動拠点、『洞爺堂』を始めていた。

そうして、色々と話をしているうちに、やすじ氏からの提案で、洞爺の魅力を再発見するため、また洞爺の氣をぼくの中に取り込むため、『洞爺堂ツアー』へと出掛けることとなった。

洞爺湖畔のパン屋さん「ラムヤート」にて

まずは洞爺湖の湖畔で、無添加・砂糖不使用の美味しいパンを作っている「ラムヤート」さんを訪れた。

ここは、洞爺湖を舞台とした映画「しあわせのパン」にも出てくるパンのお店。映画の中に出てくるパンは、ラムヤートさんで焼いたパンだったそう。

まぁ、あえて言わずとも「美味しい」。

他にも、町営の「いこいの家」さんで温泉に入ったり、洞爺のガラス工房「gla-gla」さんで吹きガラスの制作風景を見学したり、水の駅で地元産の野菜を買ったり・・・と、洞爺湖周辺の魅力のほんの一部ではあるが、やすじ氏のご案内のもと、堪能させてもらった。

これこそが、「ずっとこういうことがしたかったんよ」と言う、やすじ流の“おもてなし”だ。

町のことを想い、そこで暮らす人たちのことを想い、自分の友人のことを想い、「喜ぶ顔が見たい」という一心で始めた『洞爺堂』。

下手に気を遣って、遠慮なんてしようものなら、「おれの喜びを取らんといて!」と言われてしまう。笑
やすじ氏は、ホストに徹して、ぼくはゲストに徹して。そんな関係が、とても心地よかった。


洞爺湖へ 禊祓のため入水 遠藤夕幻

それから、この日の“最大の目的”のため、洞爺湖にて禊ぎの行水を行った。

水温は、肌の感覚から予想するに、20度以上25度未満といったところか。かなりヒヤッとするが、慣れると気持ちが良いぐらい。


洞爺湖にて、禊ぎました。 遠藤夕幻

禊ぎ、身を清め、洞爺湖の氣を直接いただいた。
空も身も心も、ハレた。


洞爺湖の水を汲む 撮影:遠藤夕幻

そして、今度は洞爺湖の水を汲む。
この水で墨を磨る。濃く磨った墨を使い、『洞爺堂』の表札を書く。
これこそが、洞爺湖での“最大の目的”である。


洞爺湖の水を使い、祝詞を読みながら、墨を磨る。遠藤夕幻

濃い墨にするためには、2時間ぐらいじっくりと磨る必要がある。
ぼくは祝詞を読みながら、神聖な気持ちで墨を磨った。


洞爺堂の堂主「やすじ」さんにも墨を磨ってもらう。撮影:遠藤夕幻

途中やすじ氏にも磨ってもらった。
この作業がすっごく重要なのである。
墨を磨るという工程を共有し、やすじ氏の氣も一緒に墨へと入れていく。独りで書いているわけではないのだ。夕幻流は、「あなたも一緒に書きましょう」の精神で書く。


洞爺湖の地元産の野菜を使った「やすじ特製カレー」 撮影:遠藤夕幻

又、やすじ氏は平行して、地元産の野菜を使った「やすじ特製カレー」を作ってくれた。
こうして、地元産の野菜を身体に取り入れるのも、書く前段階で必要な工程の一つである。

では、食事後に書くのかというと、実はまだ書かない。
まだ氣を溜める。


洞爺湖を舞台とした大泉洋&原田知世主演の「しあわせのパン」上映会 in 洞爺堂

洞爺湖を舞台とした映画。
大泉洋さん&原田知世さん主演の「しあわせのパン」の上映会が始まった。

プロジェクターを使い、大きめのスクリーンで見る「しあわせのパン」。しかも、映画を観る前に『洞爺堂ツアー』に参加したため、「あっ、ここが今日行ったところか」とか「これがラムヤートさんのパンかぁ」なんてコトを考えながら、実際に昼間に買っておいたラムヤートさんのパンを食べながら観る。

なんという贅沢。
なんというプランニング。
これこそが、やすじ氏の最高級の“おもてなし”である。


『洞爺堂』 揮毫:遠藤夕幻 表札:伊勢神宮の式年遷宮の端材 墨:洞爺湖の水&三重の鈴鹿墨 完成品 2014/8/16

こうして、一連の“儀式”を終え、最後の最後に書き上げた表札がこちらです。
この表札の木材は、伊勢神宮の式年遷宮の端材。

ぼくとやすじ氏の出会った地、伊勢の木材である。この表札に書くのは、他の誰でもない。遠藤夕幻でなくてはならないのだ。
ご縁を繋いでくれた祥平さんと伊勢の地に感謝して、洞爺とやすじ氏を想って筆を取る。それができるのが、有り難いことにぼくだけなのだ。


『洞爺堂』 揮毫:遠藤夕幻 表札:伊勢神宮の式年遷宮の端材 墨:洞爺湖の水&三重の鈴鹿墨

そして、翌朝。
神棚に上げられた『洞爺堂』の表札を見て
「おぉ、なかなか良く書けているじゃないか」
と、自分自身でも思えたことに、感動を覚えた。

だいたい「夜中のポエムの法則」(勝手にぼくがそう呼んでいる法則)によると、一晩寝かせて自作ポエムなんかを読み返してみると、恥ずかしくて見てられない、という現象がしばしば起こり得るのだ。

だが、有り難いことに『洞爺堂』はそうはならなかった。
これも、一連の“儀式”を共に行ってくれたやすじ氏をはじめ、洞爺湖で新たな出会いがあった「みつくん」、並びに洞爺湖畔にてお話しさせてもらった、「ミアキさん」や「ラムヤートさん」など、皆さんのおかげである。


こうして、伊勢での出会いを経て、北海道の洞爺湖で再会したぼくらは、また一つの“かたち”あるものを、生み出すことができた。

この『洞爺堂』の表札ができたことによって、やすじ氏は、「ようやく前に進める」という喜びを噛み締めていた。

ぼくはぼく自身で、なにかの拍子で歯車がカチッと噛み合ったかのように、ここ数年疑問に思っていたことを解決できそうな糸口を、ここ洞爺湖で掴むことができた。

最後にやすじ氏の言葉を借りて、締め言葉にしたいと思う。

やすじ氏は、“しあわせ”についてこう言っていた。

“幸せ”であり
“仕合わせ”であり
“志併せ”である

と。

ひとそれぞれ、いろいろなしあわせがあるが、そのしあわせにもいろいろなかたちがあるということだ。

ぼくは、これからの『洞爺堂』が楽しみでしょうがない。

そして、これからのやすじ氏の“しあわせ”を願ってやまない。


有り難うございました。


このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

【旅日記】 ほんのちょっと寄り添うだけ

今回更新する内容は、石巻や雄勝で思ったこと、感じたことを率直に書こうと思う。

これを読んでもらった上で、読者の方が、どのように感じてどのように考えるかは、当たり前のことだけれど、“ひとそれぞれ”だ。だからこそ、ぼくは正直に書こうと思う。嘘偽りなく。そして、できる限り誰も傷つかない言葉で。

文章が長く続くが、できれば最後まで読んでいただきたい。
まずは、“知ること”から始めていただければ、幸いである。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

振り返ってみれば、2008年の広島県安芸郡の「筆まつり」で、雄勝の硯職人の「遠藤市雄」さんと出会ったことが“きっかけ”である。それから、2010年の8月に雄勝町を初めて訪れ、硯の産業会館で写真を撮りまくったことが、昨日のことのように思い出せる。あの時は、まさかぼくが個人的な勉強のために撮った写真が、貴重な写真資料になってしまうとは思ってもいなかった。

東日本大震災で、津波で、すべて流された。
家族・友人・家・金・車・町・硯・道・船・仕事・信頼・夢・希望・絆・繋がり・・・。

他人事では、なかった。「また、ここに帰って来よう」と思った町が、跡形もなく無くなったのだ。
だから、ぼくはその年の2011年8月から、雄勝町へ“里帰り”をするようになった。形としての町が無くても、人がいる。人がいれば、そこには町は在るのだ。

その後、4年間雄勝へ通った。毎年8月頃になると雄勝町に、でっかい荷物を積んだ黒塗りのバイクが出入りするようになったのだ。書道の道具を積み込んだバイクは、雄勝町内を駆け回った。

刻一刻と変わる被災地の現状。そして、2014年に感じたこと・・・。
まずは、少しずつではあるが、どうにかこうにか取り戻しつつ在るということ。

石巻市内まで出れば、手に入らない物はなくなってきた。一時期は、車やガソリンや電化製品など、入手困難な物はあったが、今ではそういう話は聞かない。サービスもある程度戻ってきた。市内の病院施設は通常どおり開いているし、温泉施設や総合体育館などもちゃんとある。

  石巻市 日和山公園 内の 鹿島御児神社の鳥居越しに見る 石巻市内 撮影:遠藤夕幻 2014/08/11
「石巻市 日和山公園 内の 鹿島御児神社の鳥居越しに見る 石巻市内の様子」

だけど、勘違いしてはいけないと思った。決して、“元通り”ではない。震災の爪痕は、しっかりと目に見えるし、潜んでいるものもある。見え隠れし、スキを狙っている。

それから、これは非常に重要な部分である。ぼくも普段は東京にいるので、距離が遠いと気がつきにくい問題なのだが、現地に来れば一発でわかる。物理的な復興と、精神的な復興の度合いは、決してイコールではない。これは、断じて違う。

これから先、重要になってくるのは、なによりも“精神的な復興”である。
ぼくは、そう感じた。

そして、ここから先に書くことは、その精神的な復興に、ほんの少しでも役に立つのではないか・・・。そんな、遠藤夕幻なりの一つの“こたえ”を提示しようと思う。


雄勝町 「エンドーすずり館」遠藤弘行さんと東日本大震災圏域創生NPOセンターのお二人 撮影:遠藤夕幻 2014/08/10

4年も雄勝へ出入りしていれば、そこそこの人数の知り合いであったり、ある程度の顔見知りであったり、少数ではあるが毎年会う友人ができる。その毎年会う人の中の一人に、硯職人の「遠藤弘行」さんがいる。雄勝町で、唯一組合などには所属せず、個人で硯を彫り続ける弘行さん。

その弘行さんの営む、『エンドー すずり館』に、今年の雄勝&石巻訪問のきっかけをくださった『東日本大震災圏域創生NPOセンター』に深く関わるお二人を連れていくことが叶った。


  雄勝町 「エンドーすずり館」にて 硯の試し磨り&磨り比べ 撮影:遠藤夕幻 2014/08/10

弘行さんのお父様、盛行さんは、もともとは採石業のプロ。そして、採石を引退したのち、硯職人へと転身した盛行さん。その意志を引き継ぐ弘行さん。

見学に行くと、いつも石の種類の説明や、磨り比べなんかを体験させてくれる。これは、エンドーすずり館でしかできない、貴重な体験。それらを体験した、NPOセンターのお二人は、それはもうディープな硯と墨の世界に感嘆の声をあげるばかりであった。

話はいつの間にか多岐に及び、話が尽きないようだった。
そんな姿をみて、しっかりとお二人と弘行さんが、“繋がった”と思えた。

そして、“これだ”と悟った。


雄勝まちづくり協会 オーリンクハウス 外観 撮影:遠藤夕幻 2014/08/11

もう一方で、こちらは雄勝の町中の中央に居を構える『雄勝まちづくり協会』さんの「オーリンクハウス」。


  雄勝まちづくり協会 オーリンクハウス カフェ「縁 en 」あんみつ 撮影:遠藤夕幻 2014/08/11

おしゃれカフェな「縁 en」の店内は、雄勝町の憩いの場。
人と人とを“繋げる”ところとして、大活躍である。
やはり、集まる場所やもう一度来たいと思える場所があるのは、とても大切なことだと思う。


雄勝町 オーリンクハウス 展示ギャラリー 「伊達の黒船太鼓」撮影:遠藤夕幻 2014/08/11

ちょうど、今月末まで展示スペースにて「伊達の黒船太鼓」のギャラリーが開催されている。
写真中央に写っているのは、リーダーの神山さん。

この神山さんも、ぼくの雄勝で大好きな人の一人。
お互いに連絡を取り合っていなくても、雄勝町内で車とバイクですれ違ったりする。
「あ、神山さんだ」「お、夕幻くんだ」という感じで、ちゃんとお互いの車とバイクを認識していて、立ち止まる。

今年なんて面白かったのが、神山さんらしき車が前を走っていたけれど、途中で車は左へ。ぼくは右へ。別々の方向に行ってしまった。だけど、後から、やっぱり神山さんだったみたいで、わざわざバイクを追っかけて来てくれた。

そのときは、ちょうど『きずなファーム』の笹井さんと本部で話している最中で、「こんにちは~、夕幻くんいますかー?」と神山さんが登場。図らずしも、伊達の黒船太鼓のリーダーときずなファームの代表が“繋がる”こととなった。


雄勝町 オーリンクハウス 展示ギャラリー「伊達の黒船太鼓」2 撮影:遠藤夕幻 2014/08/11

こんな感じで、展示ギャラリーでは、ぼくの書いたロゴのTシャツの写った写真も飾ってくれている。所々で、こうやって自分の書いた作品が関わっていると、嬉しくなる。と同時に、これまで培ってきた“ご縁”というものが、ここいらで活用できるのではないか・・・と閃いたのだ。


石巻市 北上川 夕暮れの風景 撮影:遠藤夕幻 2014/08/11

今回の訪問で浮き彫りになったのは、各団体の孤立化。
もちろん、中には協力し合って活動ができている団体もあるのだろうが、話を聞く限りでは、どうやら少ないようだ。また、各団体と町の人たちとの関わりも、ドコか“壁”のあるように感じてしまった。


雄勝町 オーリンクハウスの猫 撮影:遠藤夕幻 2014/08/11

ぼくが個人で動いて、雄勝に関わる者としては、比較的身軽だから、簡単に言ってしまえるのだけど、ここはあえて声を大にして言おうと想う。


『ほんのちょっとでいいから、寄り添えばいいのに』


どう考えても、そこに辿り着く。
ちょっとでいいから、手を出して。お互いその手を取り合って。
できないことはできないでいいし、できることはお互いに協力し合えばいい。
それだけでいいのだ。

だけど、それが難しい。

やれ、お金のため、だ。
誰と誰が仲が良くない。
あいつが成功すると、こっちはダメになる。

・・・お互いに足を引っ張り合ってどーするんだ!?


『雄勝のために』


それが一番大切なことなはず。もっともっと、シンプルなことのはず。
これは、雄勝に関わっているなら、決して忘れちゃいけないことだと思う。

だから、ぼくは


『繋げる役割を担う』


一つ、“こたえ”を出した。
「繋がる」じゃない。『繋げる』だ。

今までは、意図せずとも、あるがままでも「繋がる」ことがいくつかあった。
だけど、“繋げる”は、それを意識する。意図的に、繋げるのだ。

この人とこの人が出会えば、たとえぼくがその場にいない状況になったとしても、一度繋がってしまえば、物事は良い方向に進んでいくのではないか。そういう状況を、できるだけ多くつくっていければ、お互いがお互いを想って、寄り添って活動できるようになるはず。

これからのテーマは、“繋げる”でいこうと、そう決めた。


上の写真の猫は、震災後、オーリンクハウスやカフェ「縁」が出来たあとぐらいに、ひょっこり出入りするようになったらしい。つまりは、この猫ちゃんも、あの震災を乗り越えて“生き残った”ということだ。


そんな猫ちゃんの手を取って、ぼくは「また会おうね」と心の中でつぶやいた。
こうやって、手を握って。


「お疲れさま」
「今までよく頑張ったね」
「ぼくに何かできることはあるかい?」
「これからも宜しくね」


・・・そうやって言うことは、そうやって相手を想いやることは、ホントに難しいことなのだろうか。。。

このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

【旅日記】雄勝のために

毎年、ぼくは「今年は雄勝のために、何ができるのだろうか?」と考えて、自分が関われるコトを模索する。

2011年&2012年は、「絵と書を贈る」ボランティア活動を行わせていただいた。雄勝町を中心として、各仮設住宅を回り、合計200枚ぐらいの色紙作品を、似顔絵を描く方と共に、絵と書の作品を雄勝町の皆様に贈ることができた。

2013年は、考えに考え抜いた結果「里帰り」をした。東京の下町育ちで、田舎のないぼくは、雄勝の地に「田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家に行く」という感覚で里帰りをし、顔見知りになった方々にご挨拶をする。たったそれだけのコトだが、「なにもしないよりはマシ」という感覚で、再び雄勝の地を訪れた。

2014年は、「夕幻さん、看板を書いてくれませんか?」というお呼びがかかった。
石巻市内を中心に活動している「いしのまき寺子屋センター」さんのご紹介で、「一般社団法人 東北アイランド推進機構」&「株式会社 きずなファーム」さんからのご指名である。

『雄勝のために』

そういう気持ちで動いている団体が、石巻市内や雄勝町周辺では複数ある。複数ある中で、このように遠い地の団体さんが、ぼくの存在を認知してくれていて、名指しで「書いてください」と遠藤夕幻に依頼が来たわけだ。

つまり今年は、「雄勝のために復興支援している団体」を『書道で支援する』ということは、イコール『雄勝のために』なるのではないかと考えて、快く引き受けさせていただいた。

石巻市雄勝町大須「一般社団法人 東北アイランド推進機構」看板制作 書:遠藤夕幻 2014年8月

そうして、一つの流れができて、実際の現地に入った。
石巻市雄勝町大須地区にある株式会社きずなファームさんの古民家にて、作品制作を始めた。

木材にヤスリをかけて、表面の凸凹を減らし、なめらかにしていく。


石巻市雄勝町大須「株式会社 きずなファーム」看板制作 協力:ホーリー(犬) 書:遠藤夕幻 2014年8月

きずなファームの癒し犬「ホーリー」も作品制作の補助を率先して行なってくれた。そっとぼくの隣に寄り添い、作品制作中はずっと、ぼくのそばに居てくれた。


石巻市雄勝町大須「株式会社 きずなファーム」看板制作 協力:ホーリー(犬) 書:遠藤夕幻 2014年8月

木材に書き始めると、今度は木材の上にまで。
・・・少しだけ、あっちに行ってもらった。笑


石巻市雄勝町大須「株式会社 きずなファーム」看板制作 落款入れ 書:遠藤夕幻 2014年8月

書いた看板には、「ちゃんと夕幻さんが書いた、というのが分かるようにしてください」と依頼を受けたので、落款の代わりに赤いペンキを指に付けて、ハンコの文字をそのまま書くことにした。


石巻市雄勝町大須「株式会社 きずなファーム」看板制作 協力:ホーリー(犬)2 書:遠藤夕幻 2014年8月

一人で黙々と書き進めた。
時々、ホーリーが癒しに来てくれた。
今回は、どれだけホーリーに救われたことか。


石巻市雄勝町大須「株式会社 きずなファーム」看板制作 書:遠藤夕幻 2014年8月

そして、書き始めた日の夕暮れまでに作業が終わらず、そのままきずなファームへお泊り。翌朝、ニスの二度塗りの作業を終えて、ようやく完成。だいたい10時間ぐらいかかっただろうか。

その時間も、きずなファーム代表の笹井さんからの「鳥肌立ったわ~!すっごいカッコいい!」そう言っていただけたことで、報われた。そこで、任務が完了した。

これから、この看板が雄勝町大須の本部に取り付けられる。
又、雄勝町内に敷地を借りている、自然農法&微生物を駆使した農法で、総称して「農業×能業」と笹井さんがおっしゃっている。その畑の前にも、この看板は取り付けられる。

今回は、全部で6枚看板を書いた。写真は4枚だが、他にもあと2枚書いている。看板は、それぞれ有効に使っていただけるそうで、「これで、今年も少しは雄勝に貢献できたのかな・・・」なんて思って、自分自身を納得させている。

まだまだやりたいことがたくさんあるけれど、一つ一つ地道に、雄勝に関わっていく。それを、これからも継続していこうと思う。

いろいろとご協力いただいた、「いしのまき寺子屋センター」さん、「東北アイランド推進機構」さん、「きずなファーム」さん、又、雄勝町内で再会した皆さん、今年も本当に有り難うございました。


感謝

このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。


洞爺湖夕幻 トボトボ歩く図