無添加書道 / 書道家 遠藤夕幻 ~ mutenkashodo ~

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【連載】雄勝硯物語 - 9/まずは、“知ること”。

これまで書き続けてきた「雄勝硯物語」も、遡ること、2008年の事柄から書き始め、今回の更新でようやく2013年9月の時点まで追いつくことができました。

本当に微力ではありますが、石巻市の、雄勝町の、復興支援と思い綴っております。
少しでも多くの方々に、被災地の現状や、そこで生き、生活している人たちの声を届けられたら・・・と思います。

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石巻市 大川小学校前 向日葵 (2013年9月,遠藤夕幻・撮影)

2013年9月。
真っ青な青空の下、燦燦と照り付ける日光を浴びて、伸び伸びと成長した向日葵を前にして、私はシャッターを押した。青空と向日葵とは対称的に、私の気持ちは曇っていた。

ここは、石巻市の北上川沿いに位置する「大川小学校」前。
東日本大震災での津波被害で、小学校の児童と先生を含む、多くの命が儚く消えてしまった場所。

震災後、二度ほど雄勝町を訪れているが、いつも大川小学校の前を通る際は、素通りするしかなかった。この地を訪れていいものか・・・正直憚られていた。また、震災直後は、なにやら工事の車や瓦礫撤去の重機が立ち並ぶ中、バイクで東北の地を走り回ってる私がうろちょろしては場違いであり、「入ってはいけない土地」であろうと、勝手に判断していて、遠慮していた。

ただ、今年は雰囲気がだいぶ柔らかくなっており、私もせめて手を合わせるぐらいは・・・と思い、ものの10分程居させていただいた。ただ、長居する空気感ではなかった。遺族の方々が学校の敷地内の奥にある、慰霊碑の前で手を合わせているのを横目に、場違いな人間は早々に立ち去ることにした。

命の重さ。それが失われたときの喪失感。計り知れないので、これ以上言葉に出すことは控えようと思う。


・・・様々な想いを抱えて、私は、大好きな雄勝町への道を急いだ。


石巻市雄勝町 国道398号 (2013年9月,遠藤夕幻・撮影)

今年の雄勝訪問は、ボランティア活動がメインというわけではなく、被災地の現状と実情の把握、そしてお世話になった方々への挨拶回りのための訪問であった。

私は、雄勝訪問前、正直自分がどうすればいいか、わからなくなっていた。
果たして、去年一昨年までの「絵と書を贈る」ボランティア活動が必要とされているのだろうか?被災地の方々が“いま”必要なことは一体なんなのだろうか?

もちろん、東京であれこれ考えていても答えが見つかるワケがない。

だから、今回は・・・「雄勝町との関わり方」と「被災地での今後の活動内容」、この二つの答え、もしくはヒントとなる何かしらの“きっかけ”が掴めれば・・・。

そんな想いで、雄勝町を訪れたのだ。


石巻市雄勝町内の主要道路の風景2 (2011年8月,遠藤夕幻・撮影)

まずは、「被災地の現状の把握」から掲載していこうと思う。

こちらの写真をご覧いただきたい。2011年8月に撮影した、雄勝町内の写真である。


石巻市雄勝町内の主要道路の風景1 (2011年8月,遠藤夕幻・撮影)

そして、今年撮影した、おそらく同じ場所の周辺の写真。
(*瓦礫が無くなり、風景が2011年当時とは変わり過ぎていて、同じ場所と同じアングルでの撮影が不可能であったため、推測での撮影になった)

現在は、ほとんどが更地になり、痛々しく散乱していた瓦礫は、全く消え去っていた。その変わりに雑草が生い茂り、瓦礫とは違ったもの悲しさを感じさせていた。


石巻市 北上側沿いの道 県道30号 (2011年8月,遠藤夕幻・撮影)

2011年8月撮影。
雄勝町へと続く、北上川沿いの県道30号の道からの風景。


石巻市 北上側沿いの道 県道30号 (2013年9月,遠藤夕幻・撮影)

上の写真のひしゃげたガードレールが、今年撮影した写真にも偶然写っていた。

津波に攫われてなにもなくなってしまった土地は、整地が済んだものの、空き地のままになっている。やはり、この土地に帰って来るのは難しいのであろうか・・・。2年以上が過ぎた今でも、新しい建物が建つ様子はない。


石巻市雄勝町 水浜地区周辺 雄勝湾沿いの道 (2013年9月,遠藤夕幻・撮影)

ここは、雄勝町内の水浜地区に続く道沿い。防波堤はなく、道路から海がとても近い。
バイクを停めて写真を撮影している際に、瓦礫のような石たちが、雄勝で採掘できる特有の石、『玄昌石』であることに気がついた。


石巻市雄勝町 水浜地区周辺 雄勝湾沿いの道 玄昌石の瓦礫 (2013年9月,遠藤夕幻・撮影)

雄勝の石の特徴は、紙のように薄い層が幾重にも重なり、二億五千万年もの歳月を経て石になったものである。雄勝の石は、重なった層の方向には割れやすく、縦に綺麗にパカッと割れるのだ。

ただし、層の方向以外からの衝撃にはかなり強く、この石の特徴を活かして生み出される“硯”は、格別に墨が良く磨れるのだ。
(雄勝硯に関して、石の特徴も含めた詳細は、別記で掲載予定)

未だに海辺に放置されたままの瓦礫や石材からも、“硯の里”と呼ばれる由縁を垣間見れた気がした。


雄勝町内をバイクで走り回り、私なりに、感じた被災地の現状は・・・

「瓦礫が無くなってきてはいるが、未だその爪痕は大きく残っており、とても“復興しました”とは言い難い、厳しい現状である。ただ、次回の更新の際に紹介する予定の、硯職人さんや漁師さんたちは、ひたむきに自分たちのできることに専念し、前に進もうとしている」

と、いった状況であった。


石巻市雄勝町 雄勝湾の風景1 (2013年9月,遠藤夕幻・撮影)

さらに、実際にそこに住む人たちはどう考え、どのように感じているのだろうか。
現在の雄勝町の様子や皆さんの気持ちを、何人かの知人友人に尋ねてみた。

「ボランティア活動をされる方は、一番多いときの10分の1程まで減った。もちろん、ボランティアに来てくれる人が少なくなったのもあるが、皆が仕事を始めて、平日仮設住宅にいないことが増え、ボランティアや集会等に参加できなくなってきた現状もある。・・・それはそれで、“仕事がある”ということだから、良いことのように思う」

「町中の瓦礫は無くなりつつあるが、硯会館の残った建物も旧雄勝支所も取り壊されてしまって、ここがドコがかわからなくなってしまったようだ。それが、なんだか寂しく思えてならない」

「このまま建物が無くなっていくと、まるで町のみんなの帰ってくる場所まで無くなってしまうようだ・・・。だからこそ、私たちが“帰って来れる場所”を作らなくてはならない」

「新しく町内に、大きな水産工場が建つ。そこで新たな雇用が生まれれば、少しでも町に人が戻ってくる気がする。そうやって少しずつでもいいから、町民が帰って来れる場所や環境が増えるといいなぁ」

「今はまだ、なにもかも整えている最中だけど、いつか行政も町も体制が整ったら、やっぱり私たちはここで漁業を続けたいから・・・。だから、そのためにも今からしっかりと準備をしておきたい」


・・・これから先の不安や寂しさ、それでも決して屈することのない、希望や未来を持った前向きな気持ち、そういったものが入り混じった複雑な言葉を、私は聞くことができた。


ここで、先に挙げた疑問の一つが、浮かび上がってくる。

『これからの被災地との関わり方』である。


これから、私たちには、何ができるのだろうか?
私たちがどのように関われば、被災地で暮らす方々が、より良い状態になっていけるのだろうか?


考えても考えても、明確な答えが出るとは限らないが・・・。
わからない、わからない。関係ない、知らない。と言っていて、果たしていいのだろうか?

否。

「自分たちが良ければ、それでいい」では、「私腹を肥やすだけ」では、これから先の被災地が、社会が、日本が、未来が・・・成り立たなくなってしまうはずだ。。。


まずは、“知ること”から始めてほしい。


“知る”ことさえできれば、何かが“変わる”はず。


ほんの少しではあるが、被災地の現状を“知る”者からの、ささやかなお願いである。


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