無添加書道 / 書道家 遠藤夕幻 ~ mutenkashodo ~

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何もしないよりはマシ

「3.11」が、どーだとか。こーだとか。巷では、TV番組で特集が組まれて、放送されたり。世の中の人はわざわざ、そんなことをしないと、「忘れない」とか「伝えていこう」とか思えないのだろうか。

いや、否定的に入るのは良くない。確かに再確認しよう、経験から学ぼう、という部分はとても良いことだと思う。直接大津波を経験した方、東日本大震災によって大きな被害を受けた方々の生きた言葉を届けるというのは、実に素晴らしいことだ。

では、いったい何が私の心に引っ掛かるのか。
それは、もしかすると、その放送や情報を受け取る側に問題があるということ、なのかもしれない。

感傷的になり、「かわいそうだね」だとか「大変だったね」とか、ハッキリ言ってそんなことではない。そんな一時的な、すぐに薄れてしまうような、どーでもいい感情論や感傷的な出来事を伝えたいわけではないはずだ。

そこから、何を『学ぶ』のか、だ。

ちなみに私は、忘れたことなどない。

忘れようもないし、忘れる必要もない。さすがに常に意識する必要性はないと思うが、フッとした時に、なんのことはないきっかけで、川底に溜まった泥が巻き上げられるかのように、記憶の断片が浮かび上がってくることがある。

宮城のみんなは元気にしているかな、また会いたいな、あの綺麗な海を今年も見たいな、と思う。ごく自然に被災地へと思いが馳せる。そして、同時に震災後半年も経たないうちに訪問した、石巻市内のあの残酷な光景も蘇る。それらは常にセットであり、楽しいことと残酷な現実は、いつも一緒にやってくる。

震災後、一度も被災地を訪れたことがない人、直接自分の目で見て、肌で感じたことのない人に、きっといくら言ってもわからないであろう。百聞は一見に如かず、とはまさにである。だからこそ、勘違いしないで欲しい。私は切にそう思う。

別に、被災地にボランティア(他に適した言葉が見つからないので便宜上「ボランティア」という言葉を使う)をさせていただいたからと言って、偉いわけでも、凄いわけでもない。ただ、あの場所を、あの雰囲気を、あの人たちを、私は『知っている』というだけのことだ。それだけ、だ。

そう、キーワードは『知る』ということだ。

安全な場所で、ブラウン管越しに、放送されたことを鵜呑みにして、『わかったつもり』にならないで欲しい。あくまで、情報として『知っただけ』である。

ただ、それだけ。

その知り得た情報を活かしてそれ以上にするか、なんの役にも立てずにそれ以下にするかは、その人自身の意識、認識、考え方次第であろう。

私は、自分なりに被災地の現状を3年間見てきたし、感じてきた。関わってきた『つもり』だ。ただ、勘違いはしていない。たとえ「どうせ自己満足なんだろ?」と言われても別にいい。否定もしないし、肯定もしない。ちゃんと自覚して行動している、と自分では思っている。

ただ・・・一つだけ言えることがある。
“何もしないよりはマシ”だ、ということだけはハッキリしている。

石巻市雄勝町を中心に、自分のできることをしてきた。世の中的には、本当に些細な、極々一部の人たちにしか知られていないような活動だろう。だけど、その極々一部の宮城県の友人知人の方たちが、少しでも喜んでくれて、少しでも笑顔になってもらえるなら、私はそれだけで十分だと思っている。

この“何もしないよりはマシ”というのが、私が今でも被災地と関わりを持ち、こうして情報発信をし続ける理由である。何かをする時に、その都度大義名分が必要なわけではないと思うのだ。きっと「みんなに会いたい」と思う気持ちだけで十分だろうし、なにか役に立ちたいと思うことは、ごく自然なことだと思う。

もし、少しでも被災地のことを『知りたい』と思ってもらえるなら、2013年9月の時点であるが、 「雄勝硯物語」というのをまとめてあるので、ぜひ読んで欲しい。

むしろ、興味がなければ、読まなくていい。読んでください、とお願いすることでもない。

それに私の書いたものを読んで、読んでと言いたいわけではない。雄勝町に限った話でもない。私はたまたまご縁があって、雄勝町と繋がっているが、この記事を読んでいただけた方が別の市町村を応援しているのであれば、それはおおいに嬉しいことであり、ぜひともその応援や支援を続けてほしいと思う。


最後に何が言いたいか、というと。


私は

ただただ『知ってほしい』

そう思うのだ

すべては、そこから始まるはずだ

まずは、『知る』ことから始めてほしい


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