無添加書道 / 書道家 遠藤夕幻 ~ mutenkashodo ~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

『駈込み訴え~真実のユダ~』 by キム スンラ

10月20日に、ある舞台が千秋楽を迎えた。


『駈込み訴え~真実のユダ~』原作:太宰治 
演じるは、キム スンラ。

キムスンラさんその人について、ぼくの言葉で語るのは、どうも違うように思える。なので、HPをご覧いただくのがまず間違いないと思う。

⇒ キムスンラ オフィシャル ウェブサイト
⇒ キムスンラ オフィシャル ウェブサイト /プロフィール/
⇒ キムスンラ ブログ 「一期一会 感謝の日々」

スンラさんと出会ったのは、一か月前のこと。
望月龍平シアターカンパニーの「Twelve」という舞台を見に行ったことがきっかけである。

“ご縁”というものは、何が起こるかわからないから、実に面白い。
出会ってから一か月後、スンラさんと一緒に仕事ができる機会をもらった。

ある日、スンラさんからメッセージが届く。
「汚してください」と。

舞台に着る衣装のことだ。

そして、「肌に着るのは、夕幻くんとの繋がりで。生かされたい」と、続いていた。熱い想いの中に、哀しみや虚しさ、複雑な感情が現れている切実なメッセージだった。

ユダ。
裏切り者の代名詞。

嘆き
悲しみ
傷つき
哀れな
苦しみ
理不尽さ
儚さ
憎しみ
虚しさ
孤独

そして



原作:「駈込み訴え」には、これまで一切知る由もなかった、“真実のユダ”がいた。
哀れで真っ白なユダ。
不器用で、どーしようもないぐらい人間臭いユダ。
一生懸命で格好悪くて、這いつくばってでも前に進もうとするユダ。
愛おしいほど憎らしく、憎らしくも愛おしいユダ。

スンラさんは、「人間は誰しもがユダ」と言っていた。
人は、自分の中にも裏切り者が居るのに、それを認めることが怖い。
生まれながらにして、罪を背負って生きていることに気が付いていない。

なかなか自分の中の“ユダ”と向き合うというのは難しいことかもしれない。
だけど、今回「衣装を汚す」という重要な役割をいただいたからには、ぼく自身も、自分の中の“ユダ”と向き合う必要があった。


キムスンラ「駈込み訴え~真実のユダ~」衣装の制作前 制作:遠藤夕幻

原作を読み、まっさらなTシャツたちと向き合う。
身体の中に「駈込み訴え」のユダを、キムスンラが演じるであろうユダを、遠藤夕幻の中に居るはずのユダを、溶け込ませる。

ぼくは、役者ではないから、台詞を覚えたり演じたりすることはできない。だけど、感情や情景を身体に取り込んで、筆に乗せて吐き出す、ということは今まで何度もしてきた。だから今回は、最初から筆は使わないつもりでいたので、筆の代わりに自分の身体を使うことにした。

あとはもう、一心不乱にぶちまけた。

キムスンラ「駈込み訴え~真実のユダ~」衣装制作風景 制作:遠藤夕幻

何度、墨汁や朱墨で染まった拳を振り上げただろうか。
Tシャツを殴っているのか、床を殴っているのか、わからなくなる。
涙で滲んだTシャツを噛み千切ったりもした。
噛んでちぎれたTシャツの断片を吐き捨て、何度も噛みついた。
墨汁をぶちまけ、水をぶちまけ、想いをぶちまけた。
クレヨンを使って、Tシャツを引き裂くかのように書き殴った。
途中から、自分で何をしているのか、どーしたいのか、わからなくなった。

あっという間に一時間以上が過ぎていた。実は、汚している最中のことをあんまりよく覚えていない。それに、シャツの裏とか表とか。そういう細かいことは、理性が飛んでしまっているため、考えることができなかった。実際に舞台で見える部分は、表の一部だけなのだろうが、そんなこと考えもしなかった。

  キムスンラ「駈込み訴え~真実のユダ~」衣装1 制作:遠藤夕幻

  キムスンラ「駈込み訴え~真実のユダ~」衣装2-表 制作:遠藤夕幻

  キムスンラ「駈込み訴え~真実のユダ~」衣装2-裏 制作:遠藤夕幻

  キムスンラ「駈込み訴え~真実のユダ~」衣装6ー表 制作:遠藤夕幻

  キムスンラ「駈込み訴え~真実のユダ~」衣装6-裏 制作:遠藤夕幻

しばらく、自分の中の静寂と向き合い、一度墨汁と朱墨に染まった手を綺麗に洗った。まるで、手に付いた罪の意識や穢れを、祓い落とすかのように・・・。丁寧に、丁寧に洗って落とした。


キムスンラ「駈込み訴え~真実のユダ~」衣装3 制作:遠藤夕幻

そして、最後に黒いTシャツを、胡粉(白い絵の具のようなもの)で汚した。
朱墨(お手本用の墨汁)は、ぼくの血液の代用と思って使った。

黒を白で汚し、血で汚す。一度落とした罪や穢れに、再び真っ向から挑んでいく。
罪穢れに対して、潔白な色、純粋な心持ちで再び立ち向かう。もしかしたら、黒を白で汚すという行為には、白を黒で汚すことよりも、重要な意味合いがあったのかもしれない、と今更ながらに思う。


衣装を汚すにあたり、事前の準備と言えば、メッセージのやり取りと、10分程度の電話のみだった。ただ、スンラさんはスンラさんでぼくのことを信頼してくれて、ぼくはぼくでスンラさんがどう汚してほしいのかというのが、手に取るように感じることができた。

二人の中のユダが、シンクロしたことによって、この衣装が生まれた。

キムスンラ「駈込み訴え~真実のユダ~」衣装すべて 制作:遠藤夕幻

全7回の公演で、7枚のシャツ。
制作した、と云うよりか「汚してやった」が、しっくりくる。


  西荻窪 遊空間かざびい 劇場にて衣装の展示

ぼくがその舞台を観たのは、19日の夜の回。
そのときのスンラさんは、黒のシャツを着ていた。

「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねぇ。」
「はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。・・・」

『駈込み訴え』の原文は、このように始まる。
目の前で繰り広げられる光景。
そこには、“ユダ”そのものが居た。


西荻窪 遊空間かざびい

劇中は、身体の奥底から沸き上がってくる衝動を抑えるのが大変だった。
叫び出したくなるのをグッと堪えた。
キムスンラ演じる“真実のユダ”の先には、鏡があった。
己のすべてを映し出す鏡。綺麗なところも、汚い部分も、見たくないのにどうしても視えてしまう。

その鏡は、まるで「気が付けよ。おまえ自身もユダなんだからな。厭でも向き合ってもらうからな。覚悟しろよ」と、ぼくにはそんな風に脅迫されているかの如く感じられた。だから、観ているのがとても辛かった。舞台から目を背け、何度か天井を仰いだ。

あぁ。なんて、悲しいのだろうか。
なんて、愛に生きた人だったのだろうか。
こんな結末しか選べなかったのか。
もっと他の未来はなかったのだろうか。
どーしてこうなった。
どこから違っていたのか、なにを間違ってしまったのか。
憎らしいけど、憎み続けることができない。
哀しいけれど、それ以上に愛おしい。


舞台を観終わったあと、しばらく動けなくなった。
「Twelve」を観たあとも動けなかったが、あの時の感覚とは、また違った動けなさだった。すごく疲れた。消耗した。精神性を、消耗した。これから先きっと、ふとした際に「駈込み訴え」のことを思い出すのだろうな、と思った。そして、その都度自分の中のユダを向き合うことになるのだろう、と。
まだ、何も終わってなどいない。むしろ、スンラさんの舞台が“きっかけ”で、何かが始まったのかもしれない。


東京公演は、無事に千秋楽を迎えたが、福岡・大阪・名古屋公演を控えている。
舞台もまだこれで終わりじゃない。引き続き、応援したい。

スンラさんは、いつもぼくにメッセージをくれる。
「生かされている。感謝」と。

ぼくも、スンラさんがいるからこそ、生かされていることを強く感じることができた。
感謝。こんなにも有り難いことはない。
このタイミングで、出会えて良かったと思う。
本当に、有り難う。

  キムスンラ&遠藤夕幻 西荻窪 「遊空間がざびぃ」 にて

⇒ キムスンラ オフィシャル ウェブサイト
⇒ キムスンラ ブログ 「一期一会 感謝の日々」

(*太宰治の「駈込み訴え」は、青空文庫で読むことができます。気になった方は、ぜひ一度原作を読んでみてください。お近くの方は、福岡・大阪・名古屋公演もチェックしてみてください。宜しくお願い致します)


スポンサーサイト
このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

この記事へのコメント

コメントの投稿

非公開コメント



洞爺湖夕幻 トボトボ歩く図

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。