無添加書道 / 書道家 遠藤夕幻 ~ mutenkashodo ~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

【連載】無添加書道について。 4 「硯 - 2」

   愛用の道具2

【連載】無添加書道ついて。
第4回目は、前回に引き続き「硯」に関わる繋がりを紹介致します。
たった一面の硯ですが、この硯は今の僕自身が在る証。とても大切な硯です。

すべての出来事は、ドコかで‘繋がっている’のです。

連載の第3回目では、日本一周の旅を通して僕と硯職人の市雄さんが出会った経緯、そして再会の約束を果たす前に、東日本震災が起きてしまったところまでを書きました。
詳細は、こちらをご覧ください。 【連載】無添加書道について。 3 「硯 - 1」


宮城県石巻市雄勝町。第二の故郷と思う大切な場所を地震と津波が襲いました。

地震当日、僕は渋谷にいました。電車が動かず、吉祥寺までの道のりを4時間かけて歩いて帰りました。帰宅途中はただただ帰るのがやっとで、この日本で何が起きているかも一切わからず・・・。やっとの思いで家まで辿り着き、TVをつけて愕然としました。

しばらく放心状態が続き、ようやく現状把握ができた頃、津波と雄勝町が繋がりました。
気がつくと嫌な汗がドッと吹き出していて、自分が震えていることがわかりました。


地震から1ヶ月後。僕は、未だに市雄さんと連絡が取れないままでした。・・・正直なところ、怖かったんです。もしものことを考えて。最悪のパターンを考えてしまうと、そこから前へ進めませんでした。

さらに数週間が過ぎたある日、当教室の生徒さんからの連絡で僕は救われます。

「先生が探していらっしゃる硯職人さんって、この方ですか?」
そう言って、新聞の切り抜きを見せてくれた生徒さん。
僕は教室中にも関わらず、思わず泣きそうになりました。

そこには、シワシワだけど肉厚で、これぞ職人の手という写真が載っていました。その横に「硯に付いた泥をはらう、遠藤市雄さんの手」という文字が添えられていました。

生きている
市雄さんは 確かに生きている

それがどれ程嬉しかったことか。と、同時に無性に会いたくなりました。一年前の約束。

「また来年も遊びに来ますね」

たった一言だったけれど、確かに僕は市雄さんにそう言ったんです。会いに行こうと思いました。そして、ただ会いに行くだけではダメだとも思いました。
何か雄勝町のためになることをしたい・・・そう思って、パートナーである絵描きの「くどう美樹」氏に相談しました。

「私たちにしかできないことをしよう。書道と絵を活かして、できることをしよう」

そう言ってくれました。混乱していたのもありますが、当時の僕にはできない発想でした。
すごく勇気の沸く言葉だったことを今でもよく覚えています。
後は二人でアイディアを出し合いました。計画を進めつつ、雄勝町の支所に直接電話し、経緯を説明して、ボランティア活動をさせてもらえないか、と交渉し続けました。


2011年8月。
僕らは、被災から半年も経たぬ宮城県石巻市雄勝町に立っていました。

スポンサーサイト
このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

この記事へのコメント

コメントの投稿

非公開コメント



洞爺湖夕幻 トボトボ歩く図

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。