無添加書道 / 書道家 遠藤夕幻 ~ mutenkashodo ~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

【連載】一面の硯が繋ぐ、雄勝硯物語 - 2

*伝えておきたいことがあります。忘れてはいけないことがあります。
つらいことではあるけれど、決して目を逸らしてはいけないことがあるのです。

私一人では、伝えられることに限りがありますが、せめて「無添加書道」をご覧いただいている方々へ、被災地の現状、そしてそこで今も生きる人たちの想いを、少しでもよいので知ってほしいと思うのです。

ここから先は、遠藤夕幻が実際に見聞きし、体験した内容をもとに書き表していきます。おそらく、主観も入ってしまうでしょう。ただ、すべては雄勝町のためと思ってのことです。どうか、ご理解いただければ幸いです。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

今でも思う。
手元に残った、市雄さんが修行時代に作った御留石の硯。

もし、市雄さんに広島県で出会っていなかったら・・・。
もし、あのとき東北に行く前に、市雄さんに連絡していなかったら・・・。
もし、市雄さんの家で、お昼ご飯をご馳走してもらってなかったら・・・。

きっと、この硯は津波に流されてしまって、ドコかに消えてしまっていたかもしれない。
幾重にも重なる「もし」を考えても、結果は結果。変わることはない。
この硯は、市雄さんのもとを離れ、今でもこうして、私の手の中に在るのだ。

これって、すごいことなんだろうな・・・と、改めて思う。


東日本大震災から一ヵ月が経った頃、自分でも思ってもいないタイミングで、唐突に“救い”がやってくる。


書道教室の生徒さんからの一言。



「先生の探している硯職人さんて、この方ではないですか?」



そっと、目の前に差し出された新聞の切り抜きを見て、それを持つ手が震えた。



『津波に流された硯を拾い上げ、泥をはらう遠藤市雄さんの手』



新聞の写真の横に添えられていた文の中に、確かに市雄さんの名があった。



生徒さんの手前、泣くのは憚られたが・・・心の中で歓喜の涙を流したことを、今でもよく覚えている。

市雄さんは、生きていた。

あのとてつもない大津波からなんとか逃げ切り、雪の降りしきる寒空の下、地域の方々と助け合い、懸命に生きることを諦めていなかったのだ。


市雄さんに、会いに行こう。
すぐにそう思った。


ずっと考えていたことがあった。
この手もとに残された一面の硯が、市雄さんの形見になってしまうのではないか・・・。そう思っていたのだが、それは違った。


市雄さんが生きているとわかった時から、この一面の硯は、私と市雄さんを繋ぐ、雄勝町へと繋げてくれる、“絆の硯”になったのだ。


一年前のたった一言、「来年もまた会いに来ますね」と自分で言ったその一言を、実現するため、雄勝町へ行く決意が固まった。

その一連の想いを、共に仕事をする仲間、絵描きの「くどう美樹」氏に相談したところ、

「私たちにしかできないことをしよう」

そう言って、アイディアを出してくれた。
本当に勇気が湧いてくる、希望に満ちた言葉だった。

くどう氏と協力して、「絵と書を贈るボランティア」と称して、雄勝町へと行くための手配が始まった。

当時、どのようにしたら、自分たちを受け入れてもらえるのか、皆目見当も付かなかった。
NPOでもなければ、どこかの組織に属するわけでもない。ましてや援助金をもらって活動するわけでもないし、完全なる一個人としての活動だった。そもそも、そんな状態で遠藤夕幻とくどう美樹を受け入れてもらえるかどうかさえわからぬまま、手探りで進めていくより他なかった。

数ヵ所ボランティアの受け入れについて、窓口を開いてくれている場所に電話をかけた。
何か所か電話したのち、ここに電話してくれ、あそこに電話してくれ、とたらい回しになりながらも、なんとか雄勝支所まで辿り着き、その当時雄勝支所に勤める方が、私たちの事情を親身に聞いてくださり、ボランティア活動の受け入れを承諾してくれたのだ。

これで、市雄さんに会いに行ける。
何か雄勝町のためになることができる。
嬉しく思う反面、今度は、雄勝町に行くことが怖くなった。

一日だけではあったが、私にとって市雄さんのいる雄勝町は、心休まる大切な場所なのだ。田舎のない私にとっては、「帰りたい」と思える心のふるさとだったのだ。


市雄さんの新聞記事を見てから、約三か月後、2011年8月。
私たちは、変わり果てた雄勝町に立っていた。


私は、心のどこかで、本当は嘘なんでしょ?と思っていた。

そこには、去年と変わらない雄勝町があって、硯の産業会館や市雄さんの工房があって・・・また、一緒に市雄さんの家で、カレーライスを食べれると・・・そう、思いたかったのだ。


2008年8月 石巻市雄勝町の町並み1

ただ、現実は、そんなに甘くなかった。


2008年8月 石巻市雄勝町の町並み3

2008年8月 石巻市雄勝町の町並み4


2008年8月 石巻市雄勝町の町並み5

言葉を失った。
涙も出なかった。
ただただ、茫然とそこに立ち尽くすしかなかった。


2008年8月 石巻市雄勝町の町並み2

瓦礫の中に、作りかけの硯が痛々しく転がっていた。
その硯の隣には、貝殻なんかが一緒にあって、それがより一層の違和感と喪失感を感じさせた。

どれほど、そこに立っていただろうか。
1分?10分?1時間?・・・正直、よくわからなかった。


・・・・・・。


その翌日から、くどう氏とのボランティア活動が始まった。



雄勝硯物語 - 3 に つづく。
スポンサーサイト
このエントリーをはてなブックマークに追加

貴重なお時間の中、最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

↑ より多くの人たちへ この記事が届くように クリックにて応援お願い致します。

RSS配信 ← こちらからご覧いただけます。

この記事へのコメント

コメントの投稿

非公開コメント



洞爺湖夕幻 トボトボ歩く図

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。