無添加書道 / 書道家 遠藤夕幻 ~ mutenkashodo ~

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【連載】一面の硯が繋ぐ、雄勝硯物語 - 4

*伝えておきたいことがあります。忘れてはいけないことがあります。
つらいことではあるけれど、決して目を逸らしてはいけないことがあるのです。

私一人では、伝えられることに限りがありますが、せめて「無添加書道」をご覧いただいている方々へ、被災地の現状、そしてそこで今も生きる人たちの想いを、少しでもよいので知ってほしいと思うのです。

ここから先は、遠藤夕幻が実際に見聞きし、体験した内容をもとに書き表していきます。おそらく、主観も入ってしまうでしょう。ただ、すべては雄勝町のためと思ってのことです。どうか、ご理解いただければ幸いです。

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その人は、なんにも変わってないかのように振舞って、笑顔で私を出迎えてくれた。

遠藤市雄さんは、それはもう元気いっぱいに「よく来てくれた」と笑ってくれた。
その笑顔を見た瞬間、泣きそうになってしまったが、なんとか堪えた。

一年前に交わした、たった一言。「また来年も遊びに来ます」
それから、震災を経て、ようやく、ようやく市雄さんとの再会を果たせた。

2011年 雄勝町 硯職人遠藤市雄さん

はじめ、なんだか少し小ぢんまりとしてしまったな・・・という印象があった。
それは、あとから聞いて判明した。

半年間、硯を一切彫っていない、というのがおそらくその理由であろう。
道具もなく、工房もない。当たり前と言えば、その通りだが・・・。

市雄さんは、中学生の頃から硯を彫っていたという。
修行時代、学校から帰ると真っ先に彫る練習をした。大人の職人に混じって、さぞ苦労もされただろう。

硯は、特殊な鑿を肩と鎖骨の間らへんに当て、鑿に体重をのせ、肩ごと身体ごと彫る。肩のまわりにはタコやアザができる。職人の中には、骨が変形してしまう人もいるという。一度、市雄さんの肩を触らせてもらったことがある。カチコチの鉄のように硬い、というわけではないが、あきらかに異質な感触があったのを覚えている。

そんな、何十年も硯に親しんできた市雄さんの肩が、

「半年彫らなかったら、柔らかくなっちまった~!ガハハハッ!」

と本人が笑って言うのだ。
私は、なんだか、話を聞いていて悲しくなって来てしまった。

どうして、この人から硯を奪うのだろうか。
お願いだから、市雄さんにこれまでのように、仕事を出来るようにしてほしい・・・。
70歳を過ぎて、家を流され、財産を失くし、さらには生きがいの硯まで奪うのか・・・。

行き場のない憤りは、私の身体の中を一通り巡ると、一筋の涙となって体外へ排出された。そして、話を聞くだけしかできない自分を、これまで以上に悔やんだ。


ただ、“救い”というのは、突然訪れるものであり、ちょっとしたことであったりする。
この日も、市雄さん宅に招いていただいたのだが、食事がカレーライスだったのだ。
なんだか可笑しくてしょうがなかった。2010年に市雄さんの家でご馳走になったカレーライスを思い出した。一年後のこの日、また市雄さんと一緒の食卓で、カレーを食べれることが、可笑しくて嬉しくて、楽しかった。

2011年 雄勝町 晴れた日の瓦礫と雄勝湾

雄勝町は、震災当初、忘れ去られた町だったそうだ。
陸の孤島ってやつだろう。幸い主要国道のトンネルが崩れることはなく、道路の瓦礫が撤去されたあとは普通に車も走れたそうだが、市雄さんの話を聞くと、やはり凄まじい光景が想像できた。

雄勝町にあったコンビニは、あっという間に津波に飲まれ、次に見た時には建物の基礎しかなかったという。
黒い波が一気に押し寄せてきて、引き波のときに、なにもかも一緒に海に引きずり込んでしまったわけだ。

市雄さんは、自分の親から「大きな地震が来たらすぐに逃げろ」と言われて育ってきた、そう話してくれた。過去にも何度か雄勝町は津波の被害に遭っている。それが、海の近くに住む者の知恵なのであろう。

その日、市雄さんと会えたことによって、一つの区切りがついた気がした。
そして、また来年も雄勝に来ようと思った。

この瓦礫のある風景でも、空は綺麗だったし、そこで生きる人たちは元気だった。
なんだか、それがわかっただけでも、ここに来た甲斐があったなと思ったのだ。

2011年 とある場所 瓦礫の中の一輪の向日葵

もちろん、すべての人たちが、皆前向きになれているかというわけではない。
綺麗ごとだけでは済まない、厳しい現実をも知ることができた。

ただ、雄勝町が被災地であろうが、なかろうが、私にとっては相変わらず、


「またここに帰って来たいな」


と思える、大切な場所のままであった。

・・・そうなのだ。大事なのは、そのことに気がつけたこと。
そして、ボランティア活動をさせていただいた、私たちのほうが、逆に元気をいただいて帰ってくることになったのだ。

この年、雄勝を訪問したことによって、より一層雄勝町と深く繋がった気がしてならなかった。
そして、それはまた来年、2012年8月の訪問によって、気がするだけではなくなるのだった。

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次回は、通常のブログ更新を挟み、

【連載】雄勝硯物語 - 5 2012年ボランティア編 へ つづく。
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洞爺湖夕幻 トボトボ歩く図

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