無添加書道 / 書道家 遠藤夕幻 ~ mutenkashodo ~

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【連載】雄勝硯物語 - 5/震災から一年半後。

*伝えておきたいことがあります。忘れてはいけないことがあります。

私一人では、伝えられることに限りがあります。ですが、せめて「無添加書道」を見てもらっている方々へ、被災地の情報や今もそこで生きている人たちの想いなどを知ってもらいたいのです。

すべては、雄勝町のために。これが、いま私にできる復興支援です。

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2012年8月。この年は、よく晴れた夏であったという記憶がある。
私、遠藤夕幻とくどう美樹氏は、再び「絵と書を贈るボランティア活動」のため、石巻市雄勝町を訪れた。

あれから、一年が経ち、町はどのようになっているだろうか。
雄勝町の人たちは元気にしているだろうか。

今回は、私が目で見て、肌で感じて来たことを写真と共に解説していこうと思う。


2012年 雄勝町内の写真

2011年8月と比べ、一年経って訪れてみて、真っ先に驚いたことがある。

瓦礫が圧倒的に少なくなっていたのだ。


2012年 雄勝町内の写真 瓦礫の山

道端に溢れかえっていた瓦礫は、数箇所設けられた瓦礫置き場に運ばれ、うずたかく山積みにされていた。その瓦礫の山を見ると、確かに痛々しい記憶が呼び起こされてしまうのかもしれないが・・・道端に転がった造りかけの硯や家屋の瓦礫がないだけで、だいぶ町全体が和らいだ印象だった。

ただ、毎日ここで生活している被災地の人々は、瓦礫の山のある町をどう感じでいるのだろうか?

「もう慣れた」という声を、複数の方から聞いた。

たしかに日々の生活や忙しさに埋没してしまい、それどころではない、のかもしれない。もしくは、感覚が麻痺してしまったのだろうか・・・。人間の環境に対する適応力は、たしかに高い。ただし、それが良いことなのか、感覚が麻痺してしまっていることなのかは、正直わからないな、と私は思った。

2012年 雄勝町 雄勝湾にて瓦礫を運び出す船

集められた瓦礫は、車に積まれて運び出されるだけでなく、このように船に乗せられて海路も含め、ドコかに運び出されていくのだ・・・。

被災地の瓦礫の行く先は、焼却を受け入れてくれた近隣の県や、あるいは東京であると新聞で読んだことがある。東京に運ばれる場合、貨物列車を使い、瓦礫をパンパンに積んだコンテナが30~50台と連なった、“瓦礫列車”が被災地と東京を結ぶそうだ。

こうして、雄勝町からも少しずつ少しずつ瓦礫がドコかに運び出され、一年越しに現場に来ると、驚くほど町がスッキリしているというわけなのだ。「瓦礫が少なくなる」というのは目に見える、わかりやすい“復興の兆し”だと、私は思った。


2012年 雄勝町内の写真2

ただ、津波の爪痕を確認しようと思えば、いくらでもできてしまう。
その痕跡は、至るところに残っていた。

この写真は雄勝湾に面した港の跡地なのだが・・・お分かりだろうか?
写真中央を横切るように、海の中にうっすらと足場のような、コンクリートの道らしきものが見えるだろうか。それは、震災前は防波堤の役割をしていたモノ。今では、海の中にほとんど沈んでしまっている。

これは、地震による地盤沈下が原因であり、全体的に土地自体が低くなってしまったせいか、海面が上がってしまったように見える。なんだか、海がとても近く感じるのだ。


2013年 雄勝町内の写真 海沿いの道

この“海が近い”というのは、雄勝町内の海沿いの道を走っていると、至るところで感じてしまう。

道路と海は、本来は背の高い防波堤のような壁で遮られているため、バイクで走っていたとしても、なかなか“海沿い”を走っている感覚にはならない。もちろん、地図上では海沿いなのだが、だいたいは壁が邪魔して海は見えない。

だが、雄勝の海沿いの道は、言葉通り、本当に海が近いのだ。

おそらく、TVでは報道もされないような些細なことだろう。だが、ブラウン管越しでは絶対に解りえないことでも、一度でも被災地を訪れれば、それが一瞬で理解できるのだ。

独特の雰囲気であったり、何かがおかしい・・・という違和感である。ここで尋常ではない、計り知れない自然災害が起こってしまったのだな、と思えるような、非日常的なことが見え隠れしているのだ。


2012年 雄勝町 ボランティア活動 水浜仮設にて

忘れないでいてほしい。

私のような東京に住む人からすれば、被災地は非日常的な部分のある世界なのだが、その非日常が“日常”になってしまった人たちがいることを。

今でもそこで生活をし、後ろ向きな人もいれば、前向きな人もいて、それでも、みんなそれぞれが心になにかしらかの傷を抱えて生きていることを。

復興は、まだ始まったばかりで、決して終わってなどいないことを。
本当に大変なのは、これからなのだ。

同じ日本に住む私たちには、これから被災地のために、何ができるのだろうか。
私は、どのようにして、これから雄勝町へ関わっていけばいいのだろうか。

様々な想いや疑問を抱えたまま、2012年のボランティア活動が始まる。


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【連載】雄勝硯物語 - 6 につづく。


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洞爺湖夕幻 トボトボ歩く図

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